フリーアナウンサーの古舘伊知郎(66)が、8月16日に書籍『MC論-昭和レジェンドから令和新時代まで「仕切り屋」の本懐-』(ワニブックス)を発売する。このほど、取材に応じた古舘が、約40年前に吉本興業から所属のオファーを受けていた秘話を明かした。
古舘は「プロレスの実況で、27歳くらいだったと思いますが、ブレイクしたんですね。会社からは評価されていない中で『オレがまさか売れるなんて』っていう気持ちがあったんです。当時はニュースショーという概念がない時代で、正月の顔出しの3分間のニュースで『おっと、1カメに切り替わった』って言ったら、めちゃくちゃ怒られましたから(笑)。そんなプロレスの実況で跳ねかけて、外で評価されてきてうれしいっていう時に、吉本の東京事務所の所長をやっていた木村政雄さんに、ちょっと話があると呼び止められて。原宿でスカウトをされたアイドルの気持ちでしたよ」と臨場感たっぷりに振り返った。
続けて「木村さんから『うちもお笑いだけじゃなくて、運動選手とかアナウンサーとか、ジャンルを広げていきたい。ついては、東京支社所属にならないか』とスカウトされたんですよ。それで有頂天になっちゃって…。あの興業の会社が芸人扱いしてくれたことがうれしかったんですね。それで、やめちゃおうかなっていう気持ちもあったんです」と率直な思いを吐露。そんな中、親交のあった明石家さんまと一緒になって、立ち話をした際に「実は吉本からお話が来ていて、どうしたらいいですかね」と相談したところ、さんまから即座に返事が返ってきた。
「さんまちゃんが『やめなはれー! なんや古舘さん血迷ったらあきまへんで! どれくらいの歩合か知ってまっか? 五分五分もなくて、1:9』ってふざけて言って(笑)。それが吉本の良さだと思うんですよ。芸人に規制なし、言うだけ言って、笑いに昇華したら全部商売やっていう。たぶん、今の時代にアナウンサーが吉本に入るって言ったら、止めないと思うんですけど、当時の状況を踏まえて本気で止めてくれました」
さんまの言葉に胸を打たれながら、同じくらいのタイミングで桂文珍が自身の実況を褒めてくれたことを知った古舘は、文珍とあいさつする機会に恵まれた。「そこで、文珍さんにも『実は…』って相談したら、さんまちゃんとまったく同じ言葉で『やめなはれー!』って言われて(笑)。さんまさんと文珍さんが同一人物だったんだっていうくらい、まったく同じせりふでした。それで、決意をかたくして、お断りしました」と幻となった吉本入りの経緯を語っていた。
同書では、こうした古舘の交友関係にまつわる秘話はもちろん、MCの源流に大橋巨泉を位置づけ、タモリ、さんま、笑福亭鶴瓶、中居正広、有吉弘行、村上信五、安住紳一郎といった幅広い人物の仕切り術・パンチラインを古舘流に分析していく。
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