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 「戦後76年プロジェクトつなぐ、つながる」です。広島に原爆が落とされた時、小さな男の子が遊んでいた三輪車が残されています。亡くなった男の子の苦しみや家族の思いは、世代を超えて受け継がれようとしています。 小西花希さんと祖父の鉄谷敏則さんです。  「水をかけると笑っているようにみえる」(鉄谷敏則さん)  敏則さんは、この場所で、父と一緒に原爆の犠牲になった兄の遺品を掘り起こしました。  「昔の人じゃないみたい」  その遺品は、いま、原爆資料館にあります。敏則さんの兄で、当時3歳だった伸ちゃんの三輪車です。家の前で三輪車で遊んでいた伸ちゃんは、原爆で全身を焼かれ、水を求めながら亡くなりました。父親は、三輪車と一緒に伸ちゃんを自宅に埋葬しました。  40年後、伸ちゃんの遺骨をお墓に移すため、父・信男さんは、敏則さんと共に、その場所を掘り起こしました。その時の思いを、信男さんは生前、映像に残しています。この日、花希さんは、資料館で曾祖父の証言を聞きました。  「それ(鉄兜)をどけてみると、頭がまん丸(の骨)になって、白い木の根が頭の骨を囲うようになっていた。子どもは私に向かって、『お父ちゃん、年とったなぁ』と言った気がした」(伸ちゃんの父 故・鉄谷信男さん〔当時82・1991年〕) 「私の父親の、苦しみや悲しみ、くやしさを繰り返さないようにしていきたい」(祖父 鉄谷敏則さん)  幼い子どもを奪われた家族の苦悩。そして、原爆への怒り。敏則さんは、小学6年生になった孫の花希さんに、「語り継いでいくことの意味」を伝えました。  「聞く人からしたら、花希ちゃんの言葉がね、このおじいさんのお父さんの体験というふうに、パッとくっついて聞くんよ。聞く人はそういうもんなんよ」(祖父 鉄谷敏則さん)  初めて、8月6日の平和記念式典に出席した花希さん。原爆と家族のことを語り継いでいく決意を新たにしていました。花希さんは、他の小学生と一緒に、式典で読み上げる「平和への誓い」の内容を考えてきました。  「平和への誓い。本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです」 「ひいおじいちゃんや、じいちゃんたちが伝えていきたかったことを、私の言葉で1人でも多くの人たちに伝えていくことが、使命だと思っています」(小西花希さん)

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