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野菜はたっぷり、鶏がらと豚骨のうまみが溶け込んだ久留米ちゃんぽん
 1917年創業で、久留米ちゃんぽん発祥店とされる老舗中華料理店「光華楼(こうかろう)」が、104年の歴史に区切りを打つ。唯一営業しているエマックス店(久留米市東町)が、8月末で閉店することが決まった。後継者の不在が主な要因。「私も90歳。いつまででんされませんから」。3代目店主の翁(おきな)幸光さん(90)は吹っ切れたように語る。
 光華楼は幸光さんの祖父、故翁善畊(ぜんこう)さんが現在の久留米市日吉町に店を構えたのが始まり。祖父は中国福建省出身の漢方医で、長崎ちゃんぽんの元祖といわれる四海樓(しかいろう)(1899年~)の創業者も同郷で縁があったという。
 「当時は栄養状態も悪かったようだ。いいものを食べて体を作ってほしいと祖父は考えたんでしょう」。鶏がら豚骨スープに野菜たっぷりのちゃんぽんは、今も「医食同源」を掲げる店の看板メニューだ。
 幸光さんは久留米医科大(現久留米大)の医学生だった1950年、系列店として映画館「文化会堂」を開くのを機に経営に入った。市場の一角に構えた映画館は当初、不入りが続いた。「いつ辞めようかと思いつつ、自前でポスターや割引券を作りましたね」。やがて客が押し寄せるようになり、最盛期には7館まで増やした。いつしか文化会堂の一帯は「文化街」と呼ばれるようになった。今や筑後地区きっての飲食街だ。「当時は本当に文化の街だったんですよ」
 着々と進む戦後復興に従い、光華楼も中華レストランなど大規模店を開業。昭和30年代には市内にボウリング場、プール、ゴーカート場やスケート場まで展開した。昭和40年代の映画館ポスターには<総合健康レジャー産業をめざす光華楼チェーン>の文字が躍る。
 幸光さんが現在営むエマックス店は、1969年の久留米西鉄名店街開業時に開店した。「隣はロイヤルさん。高架化し、今はもう他の店は全て替わってしまいました」。半世紀が流れ、光華楼もエマックス店を残すのみとなった。
 祖父の血を引いたせいか、孫たちを含め家族の多くは医療関係に進んだ。後継が見当たらず、閉店を決めた。近くの自宅から毎日通ってきた店は、もうすぐ無くなる。「暇になるでしょうね。でも、ちゃんぽんはどこででも食べられますから」。親類が営む「光華楼製麺」は営業を続け、市内を中心にちゃんぽん麺やラーメン麺を卸す。ちゃんぽんの影響も受けて生まれた久留米ラーメンの評判は全国にとどろく。「善(よ)く畊(たがや)す」との名をもつ祖父がまき、自らも手塩にかけた種は、着実にこの街で花開いている。
 (大矢和世)

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