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 箱もの行政の代名詞のような「まちづくり」という言葉は好きではない。畑違いの荒物屋を始めたのは、一人の市民の立場で、建築のクライアントだけでなく誰でも気軽に入れるような、コミュニティーの拠点を作りたかったからだ。
 古い建物を改修する際には、一度解体を始め、解体した建材を生かす方法を考えながらデザインを考える「解体建築」という独自の手法を取り入れる。古い建材の良さを生かしながら廃材も減らせる。一方で建築を使う人の「安全が担保できるか」という基礎はおろそかにしない。安全で、丈夫で、美しい建物づくりを信条とする。
 元々建築を志していたわけではない。高岡で過ごした青春時代は大好きなバドミントンにのめり込むはずだった。県東部の朝日町から県西部の強豪校・高岡工芸高校に進学したが、連日の厳しい練習で体調を崩し、競技を続けることができなくなった。マネジャーとして部に残る選択肢もあったが「同級生がプレーしているのを見るのはつらい」と退部を決意した。
建築設計事務所を兼ねた荒物屋「大菅商店」の軒先に立つ大菅洋介さん=富山県高岡市大手町で2021年7月21日午前11時30分、高良駿輔撮影
 それまで部活動に費やした膨大な時間を持て余すようになり、「エアコンが効いているから」と、美術館が併設された学校の図書館に通い始めた。最初は地元が誇る漫画界の巨匠で母校のOB、藤子・F・不二雄の漫画を読みふける日々。そのうち、居心地の良い図書館の室内空間に興味を持ち始めた。
 クラスは電子機械科だったが、部活動を辞めて目標を失った後も気にかけてくれた生活指導の先生は建築科の所属だった。思い切って進路を変え、高校最後の1年間はこの先生の家に下宿してデッサンの腕を磨き、美術大学に合格。インテリアデザインや彫刻、写真など幅広く学んだ。
 今の仕事に結びついた転機の一つは、大学の卒業制作で手がけた実家の「減築リフォーム」だ。朝日町で酒屋を営んでいた実家周辺には昔ながらの建物も残り、田舎町ながら、ちょっとした花街の風情も気に入っていた。黒川紀章の「カプセル建築」で知られる建築運動「メタボリズム(新陳代謝)」をヒントに、時代や環境、家族構成などに適応した改修の在り方を考えた。
 大学卒業後は東京の設計事務所で経験を積み、2010年に独立。しかし翌11年の東日本大震災を機に東京を離れ、妻の実家がある高岡市に家族4人で移った。当初は東京との間を行き来して仕事を続けたが、16年に「大菅商店」を開業後は高岡に腰を据えている。
 これまでに県内で手がけた物件は約15軒。現在は軒を連ねた複数の空き店舗を改築する複合施設の計画にも携わる。自ら手がけた“作品”を核に、人通りが減って久しい高岡の中心商店街で「閉まったままのシャッターを開けていく手伝いができれば」と願う。
おおすが・ようすけ
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