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陣城とは思えぬ完成度の高さ
鳥取城に籠城した吉川氏の家臣が残した「山縣長茂(やまがたながしげ)覚書」によれば、城の南には堀尾吉晴や一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)ら、西側を流れる千代川(せんだいがわ)や湊川(現在の袋川)の対岸には浅野長吉や中村一氏、小寺(黒田)孝高、蜂須賀正勝らが陣を置き、北側は鳥取城と丸山城の中間にある雁金山(かりがねやま)付近に宮部継潤や垣屋駿河守らが在陣したという。千代川河口付近の海上には荒木重堅が船団を率いて滞在し、河口には杉原家次が陣を置いたようだ。城下の袂を流れる湊川には乱杭(らんぐい)や逆茂木(さかもぎ)が打ち込まれ、水底には縄網が張りめぐらされるなど着々と強化され、陣の周囲には堀や土塁がつくられ、あちこちにかがり火が焚(た)かれた。
「鳥取市歴史博物館 やまびこ館」に展示されている布陣模型
太閤ケ平は地域支配をする拠点的な城ではなく、鳥取城を攻略するために前線に置かれた陣城(じんしろ=臨時の城)だ。それにもかかわらず、一時的な城とは思えない完成度の高さに驚愕(きょうがく)する。大規模かつ防御性の高い設計で、かなりの土木工事が施されていることが一目瞭然だ。さらに、短期間に使われたとはいえ、400年以上を経てなお土塁や堀などがよく残り、「鳥取城跡附(つけたり)太閤ケ平」として国の史跡に指定されている。
土塁に囲まれた内郭
中心にある内郭(うちくるわ)だけでも目を見張る。一辺50メートル以上もある方形の曲輪(くるわ)を幅約4メートルの巨大な土塁で囲み、その外側に幅5〜6メートルの横堀をぐるりとめぐらせている。側面から攻撃できるよう、土塁と堀には折れや高低差が効率的につけられ、とりわけ南側の大手虎口付近は高低差が激しく、壁のような頑丈な土塁が立ちはだかる。左右の土塁は門前の敵に対してくまなく迎撃できるよう突出していて、今にも戦闘が始まりそうな緊迫感だ。西側の高まりは櫓(やぐら)台のようで、大きく虎口に向かってせり出す。ここから集中攻撃されればひとたまりもない。
大手虎口の土橋

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