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大学卒業後、ずっと海外で勉強や仕事をしてきた私。日本に帰国する際に会う時間を必ずつくってくれるのが、大学のゼミでともに学んだ彼女でした。彼女が仲間へ呼びかけて集う場をセッティングしてくれたので、私は帰国のたびに楽しいひと時を過ごせました。そんな彼女の周りには自然と人の輪ができ、周りの人同士をつなぎ合わせてくれる存在でした。
みんなをリードしてくれるのに、威張ったところがなくて癒やし系。明るくてはにかんだようなやさしい声を、今でも覚えています。彼女は雨を連想させる名前でしたが、私にとっては太陽を思わせる人でした。それもギラギラした日差しではなく、やさしく包み込む日だまりのような…..。
私がフランスで結婚して子どもを妊娠した際には、誰よりも喜んでくれました。妊娠中に上海への出張が決まった際には、私とは疎遠になっていた上海に住む友人へ連絡を取ってつないでくれたりと、面倒見のよい彼女にいつも私は支えられていました。
ところが、その上海出張からフランスに戻った直後、彼女からの連絡が突然パタリと途絶えたのです。友人たちに尋ねても誰もわからず、このとき改めて、彼女が中心となってつないでくれた友人の輪だったことを感じました。
事情がわかったのは、それから1年以上経ってから。彼女は脳炎の一種にかかってずっと意識がない状態が続いていて、ご両親が毎日病室に通われて一生懸命お世話をされている、と人づてに知りました。
大学院まで進み、その後は図書館司書などを経て学校の教職に就き「さぁ、これから」と、とても張り切っていたところでした。面倒見のよい彼女には天職だったと思います。まじめな彼女が積み上げてきたいろいろな努力が、これから報われる……。まさにそういうときでした。倒れた日、彼女は体調不良を押して、友人との約束のために外出。その先で倒れたそうです。
あんなに優秀だった人が意識が戻らないまま病床にあると考えるだけでもつらく、またその時期の私は手のかかる幼児を抱えていたこともあり、帰国の際に2、3度お見舞いしただけで、お手紙を送るなどもできませんでした。
訃報(ふほう)を聞いたのは、昨年の梅雨の時期です。10年以上の闘病でした。
彼女が亡くなってから、私が住むフランスでは度重なるロックダウンもあり、誰もが心の均衡を保つのが難しい時期が続いていました。そのコロナ禍での不安定な気持ちのなかで、彼女がもういないことを認められずにいました。ご両親へのお悔やみをと思い、ペンをとるものの、生々しい悲しさがよみがえってきて、涙が出るばかりで何も書けないまま、時が過ぎてしまいました。そんなとき、以前から愛読しているこの連載が頭に浮かびました。もう直接は伝えられないけれど友人へは感謝の気持ちを、ご両親へは看病への労いを、東さんのお花に代弁していただけたら幸いです。
≪花材≫ダリア、ウイキョウ、アルストロメリア、マトリカリア、ヒマワリ、ベニバナ、ドラセナ
花束をつくった東さんのコメント
使ったお花も、ダリアをはじめ、ベニバナのつぼみやヒマワリなど、丸い雰囲気のものを集めています。ちなみにこのヒマワリも、やさしい全体のトーンを大切にして、芯が黒くないタイプを使いました。
いつも人のことを思いやり、尽くしてくれたご友人。そして、彼女が倒れたことを、どうやっても受け入れられなかったという投稿者様。ご友人の人柄を今も慈しんでいる投稿者様のやさしい気持ちが、投稿から伝わってきました。天国の彼女や、彼女のご家族に届きますように。
文:福光恵

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