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屈指のさんま研究家エムカク氏が読み解く『漁港の肉子ちゃん』ができるまで(前編):紀伊民報AGARA : comparemela.com
屈指の さんま研究家 エムカク氏が読み解く『漁港の肉子ちゃん』ができるまで(前編):紀伊民報AGARA
■『肉子ちゃん』との不思議な縁 プロデューサーとしての思い「作り手が面白いと思うものを作るのが一番大事」
明石家さんまさんが西加奈子さんの小説『漁港の肉子ちゃん』の映像化を熱望していることを知ったのは2015年11月28日、『さんまのまんま』に西さんがゲストとして登場した日のことです。ある日、新幹線で読む本を書店で物色していたさんまさんが、なんとなく手に取った本が西さんの小説『サラバ!』で、ふと開いたページには、「明石家さんま」の文字が書かれていました。さんまさんは不思議な縁を感じ、それからというもの、夢中になって西さんの作品を読み漁り、『漁港の肉子ちゃん』に出会ったのです。
『漁港の肉子ちゃん』を読み終えたさんまさんは、すぐさま吉本興業を通じて西さんにコンタクトをとり、映像化権を取得します。この経緯を、瞳を輝かせながら西さんに語る60歳のさんまさんは、まるで宝物を発見した少年のように見えました。
『漁港の肉子ちゃん』のアニメ化が決まったのは2017年のこと。さんまさんは当初、映画化もしくはドラマ化しようと考えていたそうですが、スタッフと企画を練っていく中で、“肉子ちゃん”は実写よりもアニメーションで表現するのが最適だという結論に達します。さんまさんは自身のラジオ番組で声を弾ませながら「今度アニメを作るんで、その研究のためにも新海誠さんの作品を観てんねん」と語り、ここから明石家さんま企画・プロデュースの劇場アニメ映画『漁港の肉子ちゃん』の制作がスタートしました。
監督を務めるのは、シンエイ動画で『ドラえもん』の原画、作画監督、演出を長きにわたり担当し、さんまさんが幼少時代のIMALUさんと劇場で鑑賞した短編映画『のび太の結婚前夜』『おばあちゃんの思い出』を演出した渡辺歩監督。シンエイ動画を退社後、フリーとなってからも人気作を数多く手がけ、2019年に公開された劇場アニメ映画『海獣の子供』では、第74回毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞するなど、日本が誇るアニメクリエイターです。渡辺監督とさんまさんが初めて顔を合わせたのは『漁港の肉子ちゃん』の最初の打ち合わせの席でした。昔からさんまさんの番組をよく見ていた渡辺監督は、緊張しながらあいさつを交わします。
打ち合わせが始まり、「コンセプト」「ターゲット」「マーケティング」といったワードを使いながら企画の概要を説明するスタッフに対し、さんまさんは言い放ちました。
「そういうのはどうでもええねん。話は間違いなくええんやから、作り手が面白いと思うものを作るのが一番大事やと思うよ」
渡辺:アニメーションにこういった形でチャンスをくださったってことが非常に嬉しくて。ですから、アニメで出来ることをすべて入れて、一本の映画に仕立てられたら素敵じゃないかなと。驚きと同時に、やる気というか、そういうものが沸々と湧いた記憶がございます。
(文化放送『くにまるジャパン 極』2021年6月8日より)
アニメーション制作を担当するのは、世界的に評価が高く、優秀なクリエイターが多数在籍するSTUDIO4℃。『海獣の子供』のメインスタッフが再び集結することになります。2018年夏、渡辺監督は、STUDIO4℃のスタッフとロケハンを行い、いくつかの漁港を巡り、それらの風景をミックスして架空の漁港の町を創り上げ、本格的にアニメ制作が始動します。
当時、複数の大作アニメが作られていたこともあり、優秀なクリエイターを集めるのは困難な状況だったようですが、制作担当のスタッフたちが奔走し、17歳の若手から50代のベテランまで、総勢500人に及ぶ精鋭が集まりました。さんまさんはテレビ・ラジオの仕事をこなしながら、定期的にシナリオ作りやコンテ確認などの打ち合わせに参加し、自分の中にある『漁港の肉子ちゃん』のイメージを制作陣に伝え、「なんとしてもこの作品をアニメにして世に届けたい」という意気込み、そして、「思いの限り、面白いものを全力で作ってほしい」というさんまさんの思いが、少しずつ確実に、各セクションのスタッフへと伝播していきます。
渡辺:まず、オープニングトークのように、ちょっとおもしろい話をしてくださって、ちょっと和んだところで、“あれなぁ”みたいな話で始まると。
で、杓子定規な話よりはですねぇ、“自分はこういうふうに感じてる”とか、“あれ観たときにこんなふうに思ったんで、あんなものが見たい”っていう、具体的な例なんかが提示されて。僕もだから、そういう意味では、非常に想像しやすいというかですね、すごくねぇ、的確なヒントを与えてくださる方ですよね。
(BS11『アニゲー☆イレブン!』2021年6月4日より)
渡辺監督は、「アニメーションにチャンスをいただいたのだから、なんとしてもさんまさんの期待に応えたい。これまで数え切れないほど笑わせてもらったさんまさんを大いに喜ばせたい」との思いを胸に、原作の世界観を壊さないよう、さんまさんのアイデアを絶妙なバランスで採用しながら、心強い制作陣と共に創作活動に精を出します。劇場で販売されるパンフレットには、約80名に及ぶ作品に携わられた方々のコメントが掲載されており、巻末にはメインスタッフの皆さんの名前が2ページにわたりびっしりと記されています。さんまさんが最高のキャストと制作陣に恵まれたのだということがひしひしと伝わってくる充実の内容で、読んでいて胸が熱くなりました。
STUDIO4℃が『漁港の肉子ちゃん』の情報公開前に名付けた社内コードネームは「niku」。情報が洩れないよう慎重に制作が進められる中、さんまさんは自身のラジオ番組で「今度、西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』をアニメ化するんですけど、完成するまで2年かかるらしいわ」と不用意に発言。物語の主人公である肉子ちゃんとキクコが描かれた画を初めて見せてもらい、その画力に驚いた日のことを回想し、その画を額に入れて部屋に飾っていることを、興奮気味に語っていました。情報公開前だと知りつつも、優秀な制作陣と仕事ができる喜びのほうが勝り、どうしても話しておきたかったのだと思います。
さんま:色もついてキレイに仕上げてくれて。やっぱりプロはすごいな! 忙しい中、描いてくれはったみたいで。額に入れたら可愛らしいねん。もう、これだけでええわと思った。
(MBSラジオ『ヤングタウン』2019年5月25日より)
確かな信頼で結ばれたさんまさんと制作陣が創り上げたアニメ『漁港の肉子ちゃん』は、ちょっと訳ありの母と娘の物語です。関西の下町で生まれ育った“肉子ちゃん”は、男にだまされフラれるたびに、名古屋、横浜、東京と、住む場所を転々と変えながら、泣いて笑ってひたむきに生き抜き、北の小さな漁港の町にたどり着きます。そこで出会ったのが、焼き肉屋「うをがし」の店主“サッサン”。妻に先立たれ、子供もいないサッサンが孤独に絶望し、店を畳もうとしたところへ肉子ちゃんとその娘・キクコが現れます。サッサンは肉子ちゃんを見て、“肉の神様”が現れたと思い込み、肉子ちゃんを「うをがし」に雇い入れ、“お腹を壊さないこと”を条件に、所有する小さな漁船に安く住まわせます。
こうして始まった母と娘の漁船での暮らし。11歳となったキクコは、肉子ちゃんとは似ても似つかない、細身で読書をこよなく愛する利発な少女。思春期を迎え、友人たちとの関係や、肉子ちゃんとの不安定な暮らしに頭を悩ませるようになっていました。
■大竹しのぶ起用の経緯 キクコ役のCocomiが放った第一声にさんまが満面の笑み
さんまさんは、「大竹さんには会社から正式な仕事としてオファーしてくれ」と、スタッフの方に伝えたそうです。“なんとしても大竹しのぶさんで”という思いが一番強かったのは、もしかするとさんまさんだったのかもしれません。
大竹しのぶ:吉本の方に『この役はどうしても大竹さんで、とさんまさんが言っています』と言われたんです。本人に確認したら『そんなこと言ってない』。わたし、だまされたのかな? 原作を読んだらとてもいい話なのでお仕事としてぜひやってみたい、とお引き受けしました。
(『朝日新聞デジタル』2021年6月7日より)
渡辺監督:まさに怪演!でした。アニメ監督が言うことじゃないですけど、収録時の大竹さんの姿は「これは舞台で観たい!」と思わせるほどでした。さんまさんの悪く言えば気まぐれなオーダーにも瞬時に応えて、またそれがテイクを重ねることによって、どんどん良くなっていくんです。そういうすごい方の演技を、偉大なる記録として、この作品で残せたということが嬉しいですね。
(『漁港の肉子ちゃん』パンフレットより)
それから5年の歳月が流れ、「大竹さんが引っ張ってくれたらいけるかも」と考えたさんまさんは、キクコ役にCocomiさんを推薦します。
(『くにまるジャパン』2021年6月8日より)
Cocomiさんの第一声を聞いた制作陣は驚愕の声を上げ、さんまさんは満面の笑みを浮かべました。渡辺監督は、「キクコとCocomiさんの声がスッと重なりました。まさにイメージ通り。唯一性を感じます」と絶賛し、Cocomiさんは満場一致でキクコ役に抜てきされることになります。ですが、キクコは物語の語り手となる実質的な主人公。思春期を迎えた少女の役で、台詞は一番多く、肉子ちゃんとの会話は大阪弁で話さなければならない。やはり芝居経験のないCocomiさんには荷が重すぎるのではないか。不安が募る中、Cocomiさんのアフレコが始まりました(後編に続く)。
【エムカク】1973年福岡県生まれ、大阪府在住。明石家さんま研究家。ライター。1996年より「明石家さんま研究」を開始。以降、ラジオやテレビ、雑誌などでの明石家さんまの発言をすべて記録し始める。その活動が、水道橋博士の目に留まり、2013年9月10日より「水道橋博士の『メルマ旬報』」で連載「明石家さんまヒストリー」をスタート。莫大な愛情と執念によって記録されたその内容は、業界内外で話題を呼んでいる。日本テレビ「誰も知らない明石家さんま」など、テレビ特番のリサーチャーも務める。『明石家さんまヒストリー1 1955~1981「明石家さんま」の誕生』がデビュー作。『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』が6月28日に発売。
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