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 福島市北東部の「宮代」の地名の由来とされる平安時代末期に築かれた「宮代館」跡で市が行っている発掘調査で、16世紀末から17世紀初頭とみられる建物の礎石が出土したことが19日、分かった。当時、同市が位置する信夫郡は伊達氏から上杉氏への支配の変遷期にあった。関係者は礎石の発見から、宮代館が戦国時代にも機能していたと推察する。
 伊達氏が現在の本県域に勢力を拡大させていた1590(天正18)年、豊臣秀吉の「奥羽仕置」(東北地方の大名への処分・配置換え)で信夫郡は伊達氏支配ではなくなった。豊臣家家臣の支配を経て、1598(慶長3)年に信夫郡は上杉氏の領地となった。信夫、伊達両郡は伊達と上杉が対峙(たいじ)する場所となり、複数の戦闘があった。
 市などによると礎石は館跡の中心部から一定間隔が空いた状態で複数確認された。同時期の堀や土塁も確認されたため、1598年の上杉氏の会津移封に伴い宮代館が支城として大規模に造営されたとみられる。館が築かれた平安時代末期や鎌倉時代の溝跡、建物の柱穴がほぼ同じ場所のため、館は区画や土地利用状況を変えずに400年ほど利用されたと考えられる。
 過去5度の発掘調査で、平安時代末期ごろの大量の「かわらけ」(宴会で使われる素焼きの皿)が出土した。今回の調査でも多く出土したが、市内では珍しいろくろを使わず成形した「手づくねかわらけ」や鎌倉時代の陶磁器、輸入磁器の破片を確認した。このため、鎌倉時代に有力な関東武士が同館を拠点にしたとみられる。
 同館は平安時代の信夫郡(当時は信夫庄)を治めた信夫庄司佐藤氏の影響が強いとみられていたが、今回の調査で、佐藤氏が勢力を弱めた鎌倉時代にも新勢力により活用が図られたことが分かった。調査を担当する市振興公社文化財調査室の菅野崇之室長補佐(51)は「各時代の宮代館の状況が分かってきた。出土遺物を調べて解明につなげたい」とした。
 

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