言葉を忘れた認知症の父が、離れて暮らす息子に教えてくれたこと

　父は三つの病院を転院し、2018年に肺炎で亡くなった。5年半の入院費用は840万円。在宅介護を合わて1000万円に上ったが、おかげで家族の心にゆとりが生み出せたのはありがたかった。
　認知症の父と接して、浅井さんは大切なことに気づいたという。入院の1年前に帰郷した朝だった。父に「おはよう」と声をかけると、返事が「ありがとう」だった。不思議に感じながら、浅井さんは父の人柄を思い返した。若い時から人の悪口を決して言わない。いつも感謝の気持ちを忘れなかったから、認知症が進んでも「ありがとう」が出てきたのだろう。浅井さんは自分を顧みて「私も父のように生きよう」と心に誓った。
記者も葛藤「思い出の中で役にたてるかも」
　大分にいる私の父（73）は昨年7月に介護老人保健施設へ入所した。新型コロナウイルスの感染を防ぐため面会はずっとガラス越しだ。熱心にリハビリを続けてくれているが、昨夏に帰郷すると父は車椅子に乗り、食事も介助が必要になっていた。ガラスの向こうの父と一瞬、目が合った。さみしそうに遠くを見たが、次の瞬間にはまた違う世界へ。通じ合えたのは、わずか数秒だった。
　この時間すら次に帰郷した時にはあるのだろうか……。そう思っていた最中の今年3月、高知県の老健施設「ピアハウス高知」を取材することになった。当事者も家族も穏やかに自分らしく暮らしていく方法を実践していると聞き、私は内田泰史医師（78）に「父のためにできることはないか」と質問した。内田さんからは「アルバムをプレゼントしてみたら？」という助言を受けた。私は長男が保育園児の時に実家で遊んでいる写真を集めた。それを手に父の施設に向かい、ガラスの向こうの父に差し入れた。膝の上で広げると、父に抱っこされた孫がピースしている。写真を見た瞬間、父は目に涙を浮かべて遠くの由布岳を眺めた。「こうたろうもおるんか？」とつぶやいて再びアルバムを指さした。
　アルバムは父の思い出を呼び起こした。強い記憶は脳を刺激する。回想療法と呼ぶそうだ。機能の衰えは進んでも心を通わせることができると分かり、スタッフは車椅子のポケットに入れて今も父に見せてくれている。元気なころまで時計は戻せないけれど、残された時の中で通じ合える時間を作り出すことができるのだとしたら、それができるのは父の思い出の中にいる私なのだとしたら、離れていても役にたてるかもしれない。反発し合った時もあったが、今はこうして確かなつながりを実感できる。私は父から「認知症は全てを忘れる病気ではない」ということを教わった。
　浅井さんの本を読みながら、私は何度もペンを走らせた。奇妙な行動の理由が分からず困惑したこと。そばにいる母がストレスで潰れそうになっていたこと。入所すると父への愛おしさがよみがえってきたこと――。本の内容と今の自分が幾度となくシンクロした。多くの家族が歩んできた道なのだろう。私は、その長い道の途中にいる。そんな私に浅井さんは「もしも自分が認知症になるとしたら、その時に何を残しておきたいですか？」と問いかけた。言葉を失いかけてはいるけれど、父の背中には人生の教訓が詰まっている。浅井さんのように、私も思い描いていきたい。残りの人生の生き方を。
8月29日に子ども世代のオンライン交流会
　認知症の当事者と家族を支える「オレンジカフェ」の活動が広がる中、大分県高齢者福祉課は昨年度から支援の輪を息子や娘の世代に広げようと試みている。8月29日午後2時からオンライン交流会を開き、認知症を学びながら思いを語る場を設ける。今年2月には「おおいた認知症情報サイトおれんじ」を開設し、つながり作りを手助けしている。毎日新聞は今回の特集を提供し感想を募ることにした。サイト(https://orange-oita.jp/)の「特集」で掲載する。アクセスは「ご意見・ご感想」フォームへ。29日の参加も受け付けている。問い合わせは県高齢者福祉課地域包括ケア推進班（097・506・2695）。
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